学生時代勉強や部活など「死ぬ気でやってみろ、死ぬことはないから」みたいな精神論を言われた人もいるのではないでしょうか?
今回記事にするのは精神が肉体の限界を超えてしまい帰らぬ人になったマッスル北村さんについてご紹介します
マッスル北村さんの経歴
1960年10月3日生まれ。本名北村克己。2000年8月3日没。
東京学芸大学附属高校に進学し、東京大学を目指す
2浪の末、東京大学に合格(ちなみに1浪目には防衛医科大学と慶応医学部には合格しています)
1981年に先輩に誘われ、学生ボディービルコンテストに出場
これが氏の人生を大きく変えるものになります・・・
この大会では惨敗してしまい、祖怒りと悔しさでその翌日からトレーニングにのめりこみ、翌年の同大会では3位、1983年には学生ではありえないバルクでもはや敵なしの圧倒的な優勝を飾ります
そこから筋肉をひたすら求道者になり、大学も中退してしまいます
その時にお父さんに激昂され、自宅にあったダンベルで顔を殴られ、視力が大幅に低下してしまいます。
そして医者になることを志し、1年で医学部最高難易度の東京医科歯科大学に1年で合格されます
しかしボディービルへの熱が冷めることはなく、また医学部での動物実験は良心の呵責に耐えられず、また大学を辞めてしまいます
この時に父親とは絶縁状態になります
後に氏は『克己、ボディービルやっていてよかったな』と父親にボディービルを認めらることが人生の目標であったと語られています
常軌を逸した高重量のトレーニング
マッスル北村さんは主に夜にゴールドジムでトレーニングされることが多かったようです
夜にトレーニングする理由は氏がマシーンの重量では物足りず、ダンベルなどを追加で加重し、他のお客さんにできるだけ迷惑をかけたくないという忖度からだったそうです
マシーンが悲鳴を上げ、壊れ、並大抵のボディービルダーですら耐えることがない重量で追い込むトレーニング。
氏は例えば腕立て伏せなら1001回目に限界が超えるならそれまでの1000回は1001回目のお膳立てに過ぎずその渾身の1回のためにトレーニングは行うという実はかなり今でも通用する理論だったりします
ジムのスタッフもマッスル北村さんに耐えられるようなマシーンを導入したいと切磋琢磨しあっていたそうです
■トレーニングの一例
・ダンベル片手72kgのコンセントレーションカール
・440kgのレッグプレス
・320kgのパーシャルスクワット
・90kgのダンベルを追加したディップス
など
ブログ主もビッグ3のスコアが500超えてますが、多分一つもできないでしょうね(笑)
真似できないし真似しない方が良い食事
・禁断のマッスルシェイク
マッスル北村さんというと生の鶏のささ身をそのままミキサーにかけ、そこにバニラエッセンスなどで風味をつけるマックシェイクならぬマッスルシェイクを飲まれているのは結構有名ですね
生肉をそのまま食べるのはカンビロバクターによる食中毒を引き起こし、腹痛や嘔吐などで済めばよいですが、最悪ギランバレー症候群になる可能性もあるので絶対にやってはいけません
・牛すじ丼
腱や関節を強化するために氏が考案した料理
牛のすじを様々な野菜やキノコをめんつゆ、しょうゆ、みりんなどで味付けをして圧力なべで煮込むまさに男の料理
ちなみにですが、牛のすじを食べても関節や腱は強くなりませんのでそこだけはご注意を(笑)
これは真似してもいい(笑)
ブログ主もまねして食べてみましたが、ものすごくおいしかったです
・ビタミンたっぷりの野菜ジュース
小松菜、トマト缶、ジュースを氷を入れてミキサーにかけて作るスムージー
氷を入れるのはミキサーにより調理過程で発生する熱で野菜のビタミンが壊れないようにするためだそうです
ちょっと話がそれますが、氏はなんと飼い犬の缶詰のペットフードを食べられていたそうです
塩分も控えめで高たんぱく低糖質ではありますが、筋肉への欲求が凄いなと感じられる逸話です
摂取してた唯一のサプリメント
マッスル北村さんが取っていたサプリメントは「強力わかもと」のみだったそうです
太田胃散などの胃腸薬も取っていたそうですが、サプリメントは「強力わかもと」のみです
芸能界進出と酒におぼれる日々それを救ったのは・・・
東京医科歯科大学中退後、氏は生活費を稼ぐために芸能界へ進出し、かなりの人気者になります
しかし芸能界では身体を張った仕事も多く、怪我や道化師を演じるストレスなどでアルコールに溺れていきます
そんな氏を救ったのが老いて寝たきりになった愛犬クロの存在だったそうです
もうほとんど動けないクロがその力を振り絞り、日本酒の瓶の前にもう駄目だよと言わんばかりに前に座った姿を見て目が覚めたそうです
夜遊びが好きだった意外な一面
かなり夜遊びが好きで六本木のバーなどでよくそのお姿を見かけたという人も多かったそうです
イケメンで紳士的なふるまいな方なのでかなりモテてたみたいです
氏はテストステロン値向上と維持のために毎日3回は射精を行っていたみたいですから、そういう先天的な強さもあったのでしょうね
ドーピング検査陽性発覚と世界進出
1986年のJBBFの大会で優勝を果たすもドーピング検査で陽性になり、失格になってしまいます
氏は反論しますが、結局判定は覆らず
後に氏はある人物に女性関係でトラブルがあり、はめらたと釈明し、その人物もそれを認めたとおっしゃられたそうです
しかしこの事件を境に氏がJBBFに戻ることなく、本格的に世界の舞台を目指すことになります
精神が肉体の限界を超えて起こった悲劇
2000年8月26日開催のNPCトーナメントチャンピオンシップに向けてハードな減量を行っていた北村氏
しかし低血糖で倒れ、病院に搬送されるも2000年8月3日に帰らぬ人になりました
氏の残した功績
今でこそゴールドジムといえば日本でも一番有名なジムですが、当時は露出度も少なく知名度も低かったそうです
しかしこのマッスル北村さんと格闘家のアンディーフグさんがゴールドジムでトレーニングされているのが度々メディアで取り上げられるとたちまち有名になり今の地位を気付かれたそうです
ゴールドジムの当時取締役であった方も日本のゴールドジムの恩人はこの二人であったと謝意を述べられてます
しかし奇しくもお二方とも2000年8月に亡くられてしまいました
氏のダイナミックなトレーニングや食事法は多くのトレーニーに影響を与え、またそれで結果を残された方も多いです
食事風景やトレーニング風景を撮影し、ビデオ販売するなど今でいう筋トレYouTuberの先駆け的なこともされております
氏がご存命ならもしかしたら今よりボディーメイク界隈が発達されていたかもしれません
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